【三味線教室きずな】三味線の音がある舞台って?日本の伝統芸能と三味線
2023/06/19
【三味線教室きずな】三味線の音がある舞台って?日本の伝統芸能と三味線
みなさん、こんにちは!
今日も大阪を拠点に展開している三味線教室きずな、のブログにお越し頂きありがとうございます!
前回のブログで、三味線教室きずな、で三味線や二胡を始められた生徒さん達の事を紹介させて頂きました。
三味線や二胡に興味を持たれた、きっかけも様々でしたが、このブログを読んで頂いている皆さんは、三味線や二胡の生音を聞いた事がありますか?
今年に入って三味線を始められた生徒さんから、舞台を見た時に、三味線の音が気になり、三味線に興味を持ち始めました、と、聞かせて頂きました。
そう言えば、、
三味線の音がある舞台って、、?
はい、日本の伝統芸能を代表とするものと言えば「能」「文楽」「歌舞伎」となり、それぞれに歴史がありますよね!
日本を代表する3つの伝統芸能。その成り立ちには異なる背景や歴史があります。日本の芸能の歴史を知ると、舞台に登場する三味線に、より興味を惹かれるかもしれません!
今回は『日本の伝統芸能』の事を書いていきたいと思います♪
〜日本の伝統芸能〜
私達が現在、見ることが出来る「能」の様式は江戸時代にはほぼ完成されていました。その頃に「文楽」や「歌舞伎」が生まれます。
一般的に、歌舞伎の俗っぽさは格式ある能への反発から生まれた!という見方もあるのですが、その考えは間違いです。
むしろ、初期の歌舞伎は狂言の演目を取り込みながら行われていて、能楽に大きく影響されていました。能楽の ” いいとこ取り ” をしながら歌舞伎は発展してきたと言っても過言ではないのです。
文楽の母胎である人形浄瑠璃も、最近の研究では、竹本義太夫よりひとつ前の世代の語り手は謡曲を手本にしていたとの見方があります。江戸期まで日本で確立された舞台芸能はほとんど能楽しかなかったのです。
文楽、歌舞伎は後発組ならではの強みで、大衆に受けるために貪欲に演目や舞台装置を考案されました。江戸期に熱狂的な隆盛を迎えたこともあり、今では広く知られる存在となりました。
能は創成された当時から、ずっと時の権力者の保護を受けていたとも言われていて、文楽、歌舞伎とは芸能の発展の仕方が大きく異なります。興行を成り立たせるために、大衆の意見を取り入れるといった必要性が能にはなかったのです。
能においてのみ一貫して、確立された様式が今日まで続いているのはそんな背景もあるのです。
3つの伝統芸能、の事、もっと知りたくなってきました?
もう少し詳しく「能」「文楽」「歌舞伎」の事を書いていきます♪
〜能〜
奈良時代、大陸から伝来した民間芸能「散楽」が起源となっています。
確立された年 : 1300年代半ばごろ
確立された地 : 奈良
大成者 : 観阿弥
演者の基本構成 : 役は主役のシテ、シテの相手方のワキに大きく分かれ、そこに演奏担当の囃子方が加わります。演目により狂言方が入ることもあります。合唱の地謡、舞台進行を助ける後見も含め舞台上にいる人物は全員が能の演者です。さまざまな役を担うシテ方が圧倒的に人数が多く、観世・宝生・金春・金剛・喜多の五流派があります。
演奏担当では、囃子方(笛、小鼓、大鼓、太鼓の計4人)が加わります。すべてが分業の世襲制です。
現在の状況 : シテ方、ワキ方、囃子方、狂言方すべて分業の世襲制です。
主なテーマと登場人物:「神」(脇能)、「男」(修羅物)、「女」(鬘物)、「狂」(雑能)、「鬼」(切能)の登場人物に分類されます。
見どころ : 「葵上」に代表される女の情念ものは、言葉がなくても役者の発する ”情” が舞台に立ち上るのが見てとれ、演劇の原点のようなものが『能の舞台』です。
何より「能面」のインパクトが強いです。
能は、創成された当時から、ずっと時の権力者の保護を受けていた、というのが文楽・歌舞伎とは違う所で、興行を成り立たせるために大衆の意見を取り入れる必要性がなかった為、能は一貫して確立された様式が続いています。
〜シテ〜
主役であり、ひとりが一曲を演じます。オモテと呼ばれる面は老人・女・男・ 鬼などがあり、この造形様式は室町末期から近代に確立しています。
〜ワキ シテの相手役〜
僧・神職・大臣など現実に生きる男性の役が多く、面はつけません。 一曲の冒頭に登場し、物語の展開を示す役目が多いです。
〜囃子(はやし)〜
笛、小鼓、大鼓、太鼓の計4人で構成されます。各楽も完全なる分業制です。
4種の楽器と謡が合わさって、役者の心情や情景を巧みに表現されます。
因みに、「能」の舞台に三味線は出てきません。みなさん、なぜ「能」の舞台には三味線が使われていないのだと思われますか?
「能が生まれた時、三味線はまだ存在しなかったから。」なのです。
更に詳しく説明すると、、
室町時代に観阿弥・世阿弥の親子によって、それまでの猿楽という芸能が洗練され、能という芸能の形ができました。これが14~15世紀のことです。
三味線が日本に入ってきたのは、1562年の頃。中国の三弦という楽器が、沖縄で三線(さんしん)となり、三味線となりました。
慶長8年(1603年)に、出雲の阿国が「かぶき踊り」を始めます。そして、これを真似した「遊女かぶき」というものが人気を集めます。これが三味線の普及に一役買う事になるのです!
そのころ能はすでに「伝統芸能」だったので、三味線という外来の ”新しい楽器” を取り入れることをしなかったのです。
伝統芸能の歴史、次回は舞台に三味線が登場する「文楽」と「歌舞伎」、引き続き『日本の伝統芸能』の事を書いていきたいと思います♪
さて、それでは今回も!三味線教室きずな、の、お勧めポイントです♪
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大阪・三味線教室