【三味線好き必見!!】味線と三線の違いを勉強する前にまず三線を知ろう!~三線の歴史編~
2022/09/14
【三味線好き必見】三味線と三線の違いを勉強する前にまず三線を知ろう!~歴史編~
みなさん、こんにちは!
今日も、三味線教室きずな、の、ブログにお越し頂きありがとうございます!!
三味線教室きずな、は、大阪を拠点に教室を展開している、三味線教室です♪
さて、今日は早速、本題へ♪
前回お伝えしていた内容で、「三線(さんしん)」について書いていきたいと思います♪
三線の歴史です♪
三線は元々中国が発祥で、三線を琉球時代に沖縄に持って行った事で沖縄の文化となりました。
起源は、中国大陸の東南部(現在の福建省)の弦楽器「三弦」を直接のルーツとなります。琉球王国は統一(1429年)後、中国大陸や東南アジアとの交易により多くの文物を取り入れていました。伝承では久米三十六性に帰化(14世紀末)以前にはすでに琉球に持ち込まれていたといいます。15世紀後半には尚真王が士族の教養のために三弦を奨励していました。
その後、日本でいう永禄年間初頭(1558年または1559年)に泉州(現在の大阪府南部)堺へと伝わり、日本本土の三味線の起源となりました。
福建省の三弦は部位・構造・素材のいずれも三線とほぼ同じものですが、三線の方が棹が短く、胴は平べったく変化していきます。
琉球王国時代、17世紀初頭には琉球王国が三線主取(サンシンヌシドゥイ)という役職を設けました。琉球王国は、清から訪れる冊封使の接遇の為、典礼を定め、盛大な接待式典を挙行していましたが、そのための役職である踊奉行の玉城朝薫が1719年に、能や歌舞伎などの日本の芸能を参考にした組踊を創始し、三線・島太鼓・胡弓といった沖縄音楽・琉球舞踊の発展の礎となっていきました。
日本の芸能が取り入れられた背景には、日本文化への造詣が深かった王国摂政・羽地朝秀(任期1666年ー1673年)の影響が伺えます。
琉球舞踊同様に三線は男性の楽器とされてきました。その為、調弦は男性用になっています。
蛇皮は中国との貿易でもたらされた。乾隆32年(1767年)の輸入品の中には5張の蛇皮が見えます。王国時代は貴族や士族といえども経済的には必ずしも恵まれず、高価な蛇皮を張った三線は富裕さの象徴であったとされています。裕福な士族は一本の原木から二丁の三線を製作し「夫婦三線(ミートゥサンシン)」と称したり、漆塗りの箱に納めて「飾り三線」と称し丁重に床の間に飾ったりする文化がありました。蛇皮に手が届かない庶民の青年は、芭蕉の渋を紙に塗って強化した渋紙張りの三線を製作して毛遊び(もうあしび)し、農作業の後の時間を楽しんでいました。
那覇の辻・仲島などの遊郭では芸妓・遊女が座敷芸として唄三線を身につけました。
近代19世紀後半、琉球処分を経て日本の施政下に入った明治時代以降には、様々な流派が王朝時代の楽曲の保存や三線の普及に務めました。
第二次世界大戦末期には沖縄は激しい戦火に見舞われ(沖縄戦)、多くの三線が被害を受けることになります。製作後250年を経た三線や琉球国王所有の三線の他、「開鐘(ケージョー)」と総称される名器のうち数丁も永遠に失われました。
沖縄戦後、沖縄はアメリカ軍の統治下に置かれました。米軍基地内のバーやコザの繁華街などではアメリカ兵相手に、三線によるライブが盛んに催されました。基地に流れていたアメリカのヒット曲を聞きかじって三線でコピーした登川誠仁の『ペストパーキンママ』(1948年)原曲は、アル・デクスター『ピストル・パッキン・ママ』)などは当時の沖縄の世相を反映しています。
戦後は沖縄大衆演劇を中心に復興し、古典や民謡の各流派も大会を開催していました。
日本の民謡や歌謡曲の節回しを取り入れた曲やポップミュージックの曲の中にも三線が採り入れられるようになりましたが、影響は沖縄文化圏に留まっていました。
南米ボリビアに移民した沖縄県出身地の街・オキナワ移住地(コロニア・オキナワ)や同じく南米のブラジル、米国ハワイの沖縄系日系人コミュニティでは、三線が彼らのアイデンティティを示すアイコンとなっています。
1972年に沖縄がアメリカ合衆国から日本に返還された後、知名定男率いる、ネーネーズや、りんけんバンドなど一部は日本本土の音楽シーンでも活躍しましたが、三線や沖縄音楽が本格的に知られるようになるのは1990年代の沖縄ブーム以降です。
1992年には山梨県出身の宮沢和史らのバンド、THE BOOMが三線を全面に押し出した琉球音階のポップス曲『島唄』を発表し、150万枚に迫る大ヒットとなりました。
1999年公開の映画『ナビィの恋』は沖縄をモチーフとした映画としては異例のヒットを記録し、2001年に放映されたNHK連続テレビ小説『ちゅらさん』で沖縄ブームが不動となったことで、趣味として三線を始めたり沖縄音楽に親しむことが沖縄文化圏以外においても一般的となりました。
三線は生産量が増え、初心者向けのセットや教本なども多数発売されるようになりました。ですが、その一方で、三線の素材として理想的とされる黒檀は手に入りにくくなり、価格が高騰し、質の悪い素材を塗装でごまかした粗悪品も存在しています。
2010年3月、沖縄県内の三線職人の有志が集い、三線製作の技術向上と、地域ブランド化、後進の育成、品質の保全を目的とした、沖縄県三線製作事業協同組合が発足。
2021年現在、三線は沖縄県伝統工芸に指定され、7名の工芸士が認定されています。鹿児島県では伝統工芸品、奄美の三線(奄美地方)として指定されています。
三味線と同じく、三線にも歴史あり!です♪
そして、三線のお話は、まだまだ続いていきますよ!!
三味線教室きずな、のブログの中でも、紹介させて頂いているように、三味線は色々な種類がありますが、三線も、実は様々な種類があります。
次回は、”三線の型” についてお話しさせて頂きます!楽しみにしていてくださいねっ♪
三味線教室きずな
大阪・三味線教室