【完全保存版】二胡のルーツは何?!二胡の歴史を深堀してみよう! //二胡教室きずな//
2022/07/24
【完全保存版】二胡のルーツは何?!二胡の歴史を深堀してみよう!
//二胡教室きずな//
みなさん、こんにちは♪
二胡教室きずなです☺
季節は夏!暑い日が続いておりますが、みなさん元気にお過ごしでしょうか?
今年の関西地域の梅雨明けは最速だったそうです。何をするにも健康第一♪お身体も大切にしてあげてください♪
さて!前回、前々回のブログで “三味線” について詳しくご紹介させて頂きましたが、今回のブログは、中国のバイオリンと呼ばれている ”二胡(にこ)” について書いていきたいと思います!
以前のブログでも、お伝えした事がある内容も含みながらの復習も兼ねてお話しさせて頂きます♪
さぁ、それでは!の前に、、
みなさん!「胡弓(こきゅう)」と言う言葉を聞いた事はありますか?まずは、この「胡弓」について、ほんの少しお話しさせて頂きます♪
〜「胡弓」について
日本において「二胡(にこ)」を「胡弓(こきゅう)」と呼ぶ場合があります。
ですが、日本国には「胡弓」という楽器が別で存在します。
「胡弓」は、弓を回転させずに楽器本体の角度を変えて移弦するなど、二胡とは形態も奏法もまるで違う楽器なのです。日本には文禄年間に伝わり、京阪では三絃、江戸では四絃の胡弓が使われました。
三曲合奏(邦楽:箏、三絃、胡弓の合奏、現在は胡弓ではなく尺八の場合が多いです)で用いられることが多いようですが独奏曲もあります。
胡弓の儚げで哀愁をたたえた音色は現代に於いて再び見直され、人気のある楽器としての存在が広がりつつあります。
二胡と胡弓、中国の二胡と、日本の胡弓は直接のつながりはなく、胡弓は日本の伝統楽器で伝統的な擦弦楽器群の総称となっています。そして、中国には胡弓と呼ばれる楽器は存在しません。
また、江戸時代にはすでに明清楽(殊に清楽)の流行と共に二胡の原楽器である胡琴が演奏されていましたが、きちんと「胡琴」と呼ばれ、胡弓とは区別されていました。しかし明治初期にはヴァイオリンをも、胡弓と呼んだ例があり「胡弓」が広義の意味で擦弦楽器の総称としても使われる一方、明治から昭和前半にかけ、本来の胡弓が衰退し、知名度が低下した結果、次第に混同されこのような誤用が起こったと考えられています。
この誤用が一般的に普及した背景もあってか、中国胡弓と紹介する例も存在しています。しかし、この場合前出の「胡琴」や「京胡」などの中国の伝統的な擦弦楽器全般 (「胡弓」の用法と同様に) を指す場合もあり、読み手には文脈上の注意が必要となってきます。
混同による問題を避けるためにも、楽器そのものの持つ文化的背景などを尊重するためにも、正確な呼称が用いられることがのぞましいのですが、楽器そのものの普及とともに、次第に解決されていくと考えられています。
そう、「胡弓」と「二胡」は全く別の楽器なのです。それぞれの楽器に歴史あり♪ですね!
と言う事で “二胡の歴史” について、ご紹介していきます♪
〜二胡の歴史〜
「胡」という文字は、中国では「北方の異民族」または「西方の異民族」を指す言葉です。「二胡」は中国発祥の楽器ではなく、シルクロードを通って伝来した楽器であろうというのが現在有力な説となっています。それではまず、擦弦楽器の歴史をたどってみたいと思います♪
擦弦楽器は、紀元前にインドあたりで発生しました。紀元後になるとアラビア半島で盛んに使用されていたようです。
この楽器は「ラバーブ」とか「レバーブ」という名称でした。その後、半島を中心として、イスラム教の発展に伴い、東西に広まります。西に広まったものは、今日のヴァイオリンとなりました。そして東には、三弦系がインド、東南アジア、中国南部、琉球、日本へと広まります(前述の「胡弓」)。二弦系は中央アジア、中国へと広まりました。
この二弦系の楽器は、木ないし竹の円筒形胴を持ち片面を皮(にしきへび)で張るものと、木の実などを半分に割ってその面に皮とか薄い板をかぶせるものの二種類で、前者を「胡琴」、後者を「提琴」・「椀胡」・「椰胡」などとも呼びます。
さて、中国で初めて擦弦楽器が歴史に登場するのは、唐代(618-907)とされています。この時は、まだ本体を寝かした弦楽器を棒でこすり音を出していました。この楽器は「軋箏(あつそう)」といいます。しかし、このころ「胡琴」という言葉は琵琶類を指していたようです。
宋代(960-1279)に入ると、ようやく立てて弾く「二胡」の原型が登場します。11世紀後半の文献「事林広記」に、その「奚琴(けいきん)」という楽器についての記述があります。竹の棹、竹のスティックで擦るという楽器でした。北宋の沈括著「夢渓筆談」第五に、11世紀の終わり頃、北西部の辺境に駐屯していた軍隊の間で、馬尾の毛で擦る楽器が流行していたと書かれています。
元代(1127-1279)には初めて二弦で弓を用いて弾く楽器として「胡琴」の名が登場します(「元史・礼楽史」)。明代(1368-1644)に入ると、現在の形状にかなり近づいた楽器が絵画(尤子求画:「麟堂秋宴図」)で見ることができます。
明代末、清代(1644-1912)になると、「胡琴」は各地方劇と大衆芸能の発展につれてその伴奏に使われるようになります。そして中国全土に広まっていきました。形も各地方の音楽の特徴を表現する必要があったために改良がなされ、様々な胡琴が誕生しました。よく知られているものでは、京劇の「京胡」、広東省粤劇の「高胡」、陝西省秦腔の「板胡」、江南地方の「南胡」等があげられます。この「南胡」が中国全土に広まり、後に呼び名が「二胡」へと変わっていきました。
さて!現代までの “二胡の歴史” は、まだ続きます!みなさん、もう少しです♪
20世紀に入り、中国にも西洋音楽が流入します。1920年代には、劉天華(1895-1932)によりヴァイオリンの奏法を取り入れた新しい演奏技術が生まれました。また彼は、初めて音楽学校の正式な課程として二胡の専攻科目を設け、多くの独奏曲を作曲しました。伴奏楽器であった二胡は独奏楽器としての地位を確立していきます。
1950年代に入ると楽器の改良が進みます。それまで絹でできていた弦を金属に改良、音量も大きくなりました。その他にも、全体に渡って様々な改良が加えられました。(現在もいろいろな試みがなされ改良は続いています。) また、この頃には独奏曲も数多く作曲されました。
文化大革命(1966-1976)の間は民族音楽も軽視されたために大学が封鎖されるなどの状況にありましたが、終結後は地方の音楽大学でも演奏家の育成に力がいれられるなど、より一層の演奏家の技術の向上がみられるようになりました。それに伴い、大曲の完成、また民族音楽だけでなくクラシックやポピュラー音楽も演奏されるようになり、現在に至っています。
“二胡” の歴史、、長い長い道のりを経て、今、私達が現代の ”二胡” を手にすることが出来ています♪
今回は ”二胡の歴史” だけで長くなってしまいましたので、続きは次回のお楽しみにしたいと思います♪
音楽教室きずなは、二胡と三味線、2つの楽器を学ぶ事が出来る音楽教室です!
二胡、は中国人でも取得が難しいと言われている二胡国家考級の最高級10級を取得している講師「成世昌太(なるせしょうた)」から直接、指導を受けることが出来ます!
三味線、は同じく成世流三味線の師範・家元の「成世昌太」より直接、三味線を学んで頂く事が出来ます!
大阪を拠点に展開してる二胡教室ですが、オンラインレッスンもできますので、
日本何処からでも、海外からでも二胡教室きずなで習って頂く事ができます!
無料体験レッスンも行っておりますので、是非一度、二胡、そして、三味線の生の音を聞きに♪実際に自分の手で楽器を触り、楽器の音を鳴らしに体験にいらしてください!
きっと心に響く ”何か” を感じて頂けると思っています♪
みなさまからのご連絡、心よりお待ちしております♪♪♪
二胡教室きずな